大阪府枚方市にゆかりのあるアーティストやクリエイターに焦点を当て、生き方や仕事、作品へのこだわりや思いについてお伺いする連続インタビュー企画。
第4回目のゲストは、「ロケーション監督・プロデューサー」の三島鉄兵(みしま てっぺい)さんです。
島根県出身で大学進学を機に枚方に来られた三島さん。ITや広告、メーカーを経てクリエイターが集まるチーム「cretica universal」に参加し丸10年。アニメーション映画『神在月のこども』ではロケーション監督・プロデューサーとして活躍されています!
今回は三島さんのお仕事や生き方、作品について、そして枚方の好きな場所や関わりなどについて、ひらいろ編集部がたっぷりお話を伺ってきました。
【ABOUT】三島鉄兵/Teppei Mishima
島根県生まれ、枚方市在住。cretica universalに参加し、もう間も無く丸10年。映画・漫画・テーマパーク等様々な領域でコミュニケーションを運営。洋画・邦画を代表する大作映画のプレミアイベントから、『リトルプリンス in とよた』『ひるね姫×くらしき』などのタイアップ、『TOYOTA ANIME CINEMA FESTIVAL』のスタートアップまでを統括。『神在月のこども』では、ロケーション監督・プロデューサーとして推進。
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プロデューサーの仕事とは?
▷三島さんの肩書き「プロデューサー」とは具体的にどういったお仕事ですか?
僕は2つあると思ってまして、1つはやはり資金調達です。この作品に関する総事業費を集めなければならないという、責任の一端を担っています。
ですが、僕が最も重要視しているのは2つ目の方で映画、総合芸術に携わる皆さんに対してきちんとコミットしていくということです。
そもそも総合芸術と呼ばれるものが映画だと僕は思っています。結局、キャストだけでもアニメーターだけでも映画はできないですし、いろいろな各セクションのプロフェッショナルが集まって一つの作品が出来上がります。
そういった意味で企画段階から携わっている僕自身が、この作品を作る想いやプロセスをきちんと丁寧に、嘘がないように伝えていくことがプロデューサーの仕事として一番大事だと感じているところです。
▷三島さんは何年ぐらいプロデューサーをされているのでしょうか?
実は今回の『神在月のこども』が初めてなんです!
この作品の面白さは、僕たちがアニメーション制作に携わるのが初めてだというところです。オリジナル長編アニメーションで、最初から100館を超える規模感で作品が世に出されるということは、歴史上たどっても、あまり前例のないことだと思います。
▷初作品でたくさんの映画館で上映されることになったのは、理由があると思われますか?
本格的にこの作品の絵を描き始めたのは2018年、2019年くらいからですが、もともと原作者と僕と二人で企画を立ち上げてからもう8年、9年経つんです。
僕たちが届けたい想いも作品に宿そうと取り組んでいるので、その気持ちの芯の部分がブレなかったことがたくさんの劇場の方にも伝わったのかなと思います。信念を持ち続け、ここまでやって来れたということが一番大きかったんじゃないかなって思いますね。僕たち二人が伝えたい想いや情熱、言葉が、劇場関係者の皆さんの心にまで届けられない限り、エンドユーザー(鑑賞者)には絶対に届きませんから。
おいたち・今のお仕事に至るまでの経緯や職歴
▷学生時代からこれまでのおいたちについて教えて下さい。
18歳のときに島根県から関西に出てきました。以前枚方市にあった「大阪国際大学」に通っていたんです。
▷枚方の大学に通われて、枚方で就職されたんですか?
一般的には自分の強みを武器に手に職をつけたい、と思う方が多いと思うんですけど、僕の場合は逆説的な考えで、自分の弱い部分を補填したいと思ってこれまでやってきたんです。つまり、自分の弱い部分のスキルアップを図りたいと思っていました。
僕は大学生の頃、ITスキルに乏しいと気がついていたので、最初の就職先としてIT企業を希望し、おかげさまで就職することが出来ました。
そちらでは東京、沖縄、島根と全国を跨ぎながらITスキルをはじめ社会人としての心得等も含め、多くの事を学ばせていただいたのですが、これが自分の性格というか癖とも言うんですかね。3年4年周期くらいである程度その会社の仕組みだったりとかお客様とのやりとりっていうことを重ねると、また次に自分に足りていないことが見えてくるわけですよ。そして新しいことを学びたい!という気持ちが湧いてきて。
じゃあ次は、人と人との関わりについてもっと深めたくなって、広告業界の営業職に転職しました。
そのときは技術で結果物、成果物を出すっていうことではなくて、人と人との関わりの中で働きたいと思っていました。
▷それは何歳の時ですか?
26歳(2005年)ですね。22歳(2001年)で大学を卒業して、26歳で営業職に切り替えました。そちらでは、学生の就職支援や斡旋を行う営業職に就きました。主に無形商材を扱っていました。
その4年後(2009年)に、今度は同じ営業ではあるんですけど、有形商材を扱う青果メーカーに転職しました。結果、有形商材と無形商材の両方の営業の経験を積むことが出来たんです。
▷どんどん網羅していかれたのですね。
あくまでも僕自身の解釈で、IT業界での技術職から、有形商材、無形商材の営業職を経ると、世の中にあるお仕事というのは、業界や職種は違えど、きっとそんなに大差はなく同じことなんじゃないかなぁという事に気がつきました。約10年、11年(仕事をしたことで)ある程度自分の中では腑に落ちた部分がありました。
一生を終えるまでに、一度は自分で何かを生み出すことにチャレンジしてみたい!そう強く思うようになりましたね。
▷なるほど!
結局、多くの会社は、社長様や会長様がゼロから立ち上げてこれまで築いて出来上がったもの。他人様が魂込めて立ち上げて来られたものに対して、自分があれこれ不平不満を感じることは、筋違いかもなぁと思うようになって。
それで、自分の中で100%満足できるということに持っていこうと思うと、自分でやるしかないと思ってcretica universalというチームに入ったんです。
▷cretica universalというチームとは?
一般的な会社とは異なり、誰かが社長で誰かが社員で雇われているという上下関係の組織ではなく、各個人のフリーランスが集まって会社組織を作っているという、最近増えている新しい組織のかたちですね。
13年前にそういう仕組みを考え、作ったのが、今回の映画「神在月のこども」の原作者である四戸(俊成)くんなんです。
売上から事業の運営費・経費が差し引かれ、最終的に利益となったものは、全員平等に分配するスタイルと、このチームみんなで感動を超えるものづくりが出来る!ことに僕は激しく共感しました。
個人個人の成果としてみんなに分配できる関係性だと、例えば、僕が思うような結果を出せない時には、仲間に助けてもらい、仲間が思うようにいっていない時には支えてあげる事もできるんです。その組織(cretica universal)で働き始めたのが、もう10年も前(2011年)のことになります。
この『神在月のこども』も最初四戸くんと私の2人で立ち上げて、その間、何人もの仲間と共に懸命に汗をかいてきましたけれど、ある意味、”自由”にやってきました。束縛もしないし、詮索もしない。皆それぞれ”自分の人生”なので、やりたくないとか、他の場所でやりたいとなったら、それはその人が決断した人生ですから一切止めませんでした。
でも皆がいてくれたからこそ、cretica universalというチームが今なお存在しているわけで、そういう組織の集大成として、”僕たちの作品”を一つ残したいと強く思うようになりました。
▷cretica universalでは主にどんな事業をされてきたのですか?
cretica universalでは映画のタイアッププロモーションをよくやっていました。
ユニバーサル・ピクチャーズ、ディズニー、ワーナーブラザース、東宝、東映等の日本を代表する映画配給会社さんから世に放たれる代表作品のタイアッププロモーションのオーダーを受けながら、独自のコミュニケーションで企画を展開していくというのがこれまでの多くの仕事です。
▷広告も担当されていたのですか?
もちろん広告の領域です。映画のプロモーションでも宣伝チームがあるんですけど、外部のパートナーとして、外から見る人だからこそ気づく作品の魅力って当然あるじゃないですか。そういったところを伝えていくことで様々な配給会社さんからオーダーをいただけるようになりました。映画の配給会社さんの中で「関西にこんなチームがあるみたいだよ」っていうクチコミが広がっていったんですよ。
なので、(私達は)映画に育てられたといっても過言ではないです。
▷活動は関西を中心に?
そうですね。神戸に拠点がありながら、よくお仕事をさせていただいたエリアは、大阪市内、阿倍野、天王寺が一番多かったです。それから愛知県の豊田市の映画祭の立ち上げ企画も携わらせていただきました。
そういうお仕事を10年くらい続けてきますと、お世話になっている映画産業にも何かしらの恩返しができればと思うようになりました。
でも、他社様の作品を任されて、私たちはプロモーション・宣伝を展開していくわけなので、結局自分たちが作った作品ではないんですよね。そうするとやはり、どうしてもできることに限界があるんです。
例えば、僕がこのご縁から「ひらいろ」の表紙をこういう風に変えたいですって依頼を受けたとします。僕の案で枚方市の写真や素材を使う時に、(権利の関係で)使って良いものの制限が当然出てくるじゃないですか。
そういうことになってくると、そもそも僕たちが本当にやりたい!と思うプランと、実際に展開出来るプランの範疇に乖離が生まれちゃうんです。
僕たちはフラットで自由にフリーランスでやっているのに、結局制限付きの領域でしか自分たちの活動ができないっていうことに対して、「僕たちの集大成として、自分たちでハンドリング出来るものを作ろう!」と原作者の四戸くんと意気投合したんです。僕たち二人から生まれた作品を、二人で決めた方向へ展開出来たことは、本当に貴重な経験でした。
でもアニメーション映画を作るにあたって最大の欠点は、僕たちは絵が描けない。
そこで、cretica universalが企画し9年前に実施した産学連携企画『STUDIO4℃×京都精華大』に学生として参加し、グランプリを獲得されたご縁ある白井さんが仲間になってくれたことで大枠の体制が整いました。白井さんが、アニメーション監督。原作者でもある四戸くんが、コミュニケーション監督。プロデューサーとロケーション監督が僕。この三人から制作が始まりました。
僕たちは全然絵が描けないけど、アニメーション映画を作りたいから「ちょっと、白井ちゃん!こんな一枚絵を描いて欲しいんだけど!」っていうところから始まりましたね。
▷今回はなぜアニメーション映画にされたんですか?
アニメーションにした理由は、やっぱり子供達に伝えたいというのが一番です。そして今まで私達が関わってきた映画のタイアップの中で、アニメーションのご縁が深かったからです。
さらにいえば、四戸くんという原作者はもうずっと世界を見てるんですね。世界に届くクリエーションを自分の生きる源にしているんだと思うんです。一方で、僕はどちらかというと真逆で、この機会に、生まれ故郷への恩返し、「故郷へ錦」を飾りたかったんです。こんな僕たちでも、映画作れたよ!ということを結果で示したかった。
初めての挑戦でしたが、これだけたくさんの方々の賛同を得ることができました。何事もそうだと思いますが、全てを自分一人でできる筈もなく、得手不得手もあります。出来ないことは得意な方に任せたら良いし、みんなで協力し合えたことで、夢を一つ叶えられました。
私の故郷島根県でも、少しづつ人口が減ってきています。僕の仲間たちも、一旦は県外へ大学進学や就職をしたけれど、後継ぎであったり、様々な事情で、故郷へ帰った者もいます。そういった境遇は僕も痛いほどわかります。
だけど、夢や自分がやりたいこと、自分の好きなことを早々諦めないで欲しいなと思ってます。確かめたことはないですけど、自分の本当の気持ちを押し殺して我慢している仲間もたくさんいるはずで、多分口に出したくないくらい悔しいんだろうなと思います。
なので、私は今42歳ですけれど、何歳になってもやりたい事って出来るんじゃないか!っていう事を、同級生や同世代の方々へも広く伝えたかったんです。
それは、アニメーションで描く方が幅広い年代の方々に伝わるんじゃないかなと思ったのがきっかけです。
チラシ1枚でもポスターでもそこに宿すものと、100ページの本に宿すものも、おそらく想いは同じじゃないですか。想いみたいなものは、1ページだから妥協するっていうことはあり得ないんです。
「0から1を生み出す」という言葉をよく聞きますが、言葉で言ってしまうと簡単ですが、0から1を生み出すっていうのはめちゃくちゃ大変だと思います。とても言葉では表現できないです。
でも、前例のない事に挑戦するからこそ、全てが新鮮で、毎日必死になって努力を重ねられたのだと思っています。正直「挑戦」というのは決して楽なことではないですけど、積み重ねを怠らなければ「総合芸術」と呼ばれる映画だって生み出せる!ということは、しっかりと伝えたいですね。
特に今は子どもたちも難しい時代だと思うんですね。
夢とか希望とかって言いにくいじゃないですか。
だけど、人との関わりを持たずして、自分が感動できる”モノ”って生まれないんですよね。
有形物を生み出すためには、いい意味の摩擦がないとできない。
映画そのものもそうですし、僕たちの雲を掴むような途方もない挑戦から生まれた作品であるということが、誰かの勇気にもなれば!とっても嬉しいです。
▷「神在月のこども」に想いが込められているんですね。
その通りです!想いも情熱も全て、映画「神在月のこども」に込めました。
映画をご鑑賞いただいて、その部分まで伝わったのなら最高に嬉しいです!
▼映画「神在月のこども」についてはこちらの記事でより詳しくご紹介しています。
影響を受けた人
▷三島さんが影響を受けた方はいらっしゃいますか?
圧倒的にイチローさんです。元々野球をやっていたんですけど、どの言葉も心に響いています。
特に響いた言葉は「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道」と、「進化するときっていうのは、カタチはあんまり変わらない。 だけど、見えないところが変わっている。 それがほんとの進化。」
あとは、武豊さんです。以前このお二人が対談されたことがあって、これが一番熱かったですね!
枚方歴、関わり
▷三島さんは大学進学で枚方に来られてからはずっと枚方に住んでいらっしゃるんですか?
大学を卒業し、前途した通りIT企業で東京、沖縄、島根と全国を跨いだ後、婚約者が枚方市在住だったというご縁もあって、再び枚方に帰ってきました。僕にとっては、第二の故郷です。
枚方を題材にした作品
▷枚方を題材にした作品があったりしますか…?
残念ながら、現時点でその構想はありません。
ただ、これから第二の故郷枚方で志の高い新しい仲間が出来たら、もしかしたら題材にすることもあるんじゃないかなと思います!現実となれば、そのきっかけは「ひらいろ」さんですね(笑)
枚方の好きなお店・場所
▷枚方で好きな場所はありますか?
頻繁に行けているわけではないですが、津田にあるステーキの「つね恒」さんですね。
あとは、つけ麺の「麺屋たけ井」さん。とても美味しいです!最近樟葉駅にオープンしましたね。
大峰の「麺麓menroku」さんも好きです!子どもが学校に行っている間や仕事の合間に行っています!
▷三島さん、お忙しいなかでインタビューにご協力いただき本当にありがとうございました!
映画公開後のニュース
この映画をきっかけに、三島さんと四戸さんにより、出雲大社の境内に「シロ」の石像を建立されたり、
映画の舞台である島根県のふるさと親善大使『遣島使』に就任されました!
これからますます島根県を積極的にPRされていかれると思います。今後のご活躍も楽しみですね!
さ・ら・に・・・!
2022年2月8日(火)より「神在月のこども」がNetflixにて全世界配信決定!
まだ観れてなかったという方やもう1回観たい!という方は、ぜひNetflixでお家でゆっくりご覧になってみては!
詳しくはこちらのページをご覧ください。
【ABOUT】三島鉄兵/Teppei Mishima
島根県生まれ、枚方市在住。cretica universalに参加し、もう間も無く丸10年。映画・漫画・テーマパーク等様々な領域でコミュニケーションを運営。洋画・邦画を代表する大作映画のプレミアイベントから、『リトルプリンス in とよた』『ひるね姫×くらしき』などのタイアップ、『TOYOTA ANIME CINEMA FESTIVAL』のスタートアップまでを統括。『神在月のこども』では、ロケーション監督・プロデューサーとして推進。
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