“人間らしい”アナログでロジカルな演劇をつくりたい!劇作家 浅川水音さんってどんな人?【HIRAKATA CREATORS&ARTISTS FILE Vol.6】

大阪府枚方市にゆかりのあるアーティストやクリエイターに焦点を当て、生き方や仕事、作品へのこだわりや思いについてお伺いする連続インタビュー企画。

第6回目のゲストは、劇作家の浅川水音(あさかわ みと)さんです。

浅川さんは、高校生のときに演劇部に入部。その後、小劇場俳優として関西で様々な演劇活動を経て、現在は自らの活動母体「スウィトリト」を企画。ワークショップや演劇を主催されています。浅川さんが行う演劇の面白いところは、集まった人たちの個性や人間性を見てから物語を作っていくところ。2,3ヶ月に1回、カフェやレンタルスペースなどで公演を行っています。

今回は浅川さんのお仕事や生き方、作品について、そして枚方の好きな場所や関わりなどについて、ひらいろ編集部がたっぷりお話を伺ってきました。

目次

【ABOUT】浅川水音/Mito Asakawa

枚方市生まれ、枚方市在住の劇作家/ボディメンタルコーチ(アレクサンダーテクニーク)。
枚方で演劇のワークショップを開き、演劇を通じて身近にある気づきや喜び=『センス・オブ・ワンダー』を大切に感じてもらえるような活動を目指す。
演劇の理論としては「マイズナーテクニック」を基礎として持ち、確かな理論と嗅覚で俳優の魅力を引き出す演出をする。
また「アレクサンダーテクニーク」という、演劇でも使われている技術を使ったボディケアレッスンや、コミュニケーションのコツを伝える活動もしている。趣味は、カフェ巡り。

主な作品:「炎の旅路」「投げてばっか。」「短いけれど、ちゃんとお別れ。」
公式サイト:https://sweetlittle310.amebaownd.com/
Instagram :@mito_asakawa
Twitter:@mito_asakawa310

劇作家のお仕事について

ーまず、ミトさんの肩書きを教えてください。

一応、劇作家ですね。最近はワークショップばかりしてますが(笑)
芝居は時代劇やアクションとか派手なのも作れますが、基本は会話劇です。

ー劇作家さんってもともとある作品から脚本を考えるんですか?

自分が書きたいことを書く作家さんが多いです。
僕がたどり着いたスタイルは、集まった方たちの人柄とかを見て作品を書くというスタイルです。

ー即興ですか?

即興ではないんですけど、何回か一緒にワークショップを重ねる中でその人の個性を見つけて、それに合った役を作ります。
例えば以前でいうと、高槻市の企画で一般の方が俳優として参加する演劇イベントがあったんですが、その時に70代の女性が参加されて。で、ワークショップをしてみると、この女性がすごくパワフルで素敵なおばあちゃんだったので、この方に焦点を当てて脚本を考えました。

ーゼロベースから作品を考えるんですか?

はい、ゼロベースです。

ーどのくらいの期間で作り上げるんですか?

この作品は2ヶ月間で作りました。ほぼ週に1度の稽古で、トータル10回くらい。20分の作品でした。

ー脚本や配役とか劇に関することは全てミトさんがされるんですよね?

そうですね。脚本、キャスティング、演技指導などですね。規模の小さい演劇なので配置とか構図、そういった演出も全て一人で考えています。大きい舞台になると演出部という部門があるので、考えてくれたりして役割分担できるんですが。

ーお題をもらったり、依頼が来て劇をつくることもあるんですか?

ありますね。知り合いの演劇関係者から紹介で受けたり、高槻市の企画も関係者から「応募してみない?」って感じでお受けしたので。

ーどれくらいの頻度で劇をされているんですか?

そんなに頻繁ではないですが、1年に1回は。2年前は3ヶ月に1回、カフェで「大人の読み聞かせ」という小さな公演をしていました。
枚方市にあったマルーラ(2020年に閉店)という素敵なカフェでした。

ーそうなんですね!一般の方も参加できるようなものなんですか?

そうですね。参加してもらえますよ!

ー今は公演されているんですか?

なかなか出来ていないですね。
コロナ禍があけたら、ワークショップルームさん(いまワークショップをしている場所)でさせてもらいたいなって思っています。
そこで、マルーラさんと同じくらいの規模の小さな演劇をやりたいですね。

ー出演者はいつも一緒なんですか?

バラバラです。演劇未経験、初体験の方も参加してもらってます。
募集はひらつーの伝言板とか、演劇の募集掲示板とか、そこから応募してきた方々です。経験があるとか無いとか関係なく、まずは一緒にワークショップを重ね、そのうちに「公演をしようか」ってなるので、ホントにいつもバラバラです。

普段の活動場所

ー普段の活動場所は?

枚方市役所の近くにあるレンタルルーム、ワークショップルームさんをお借りしています。

ワークショップルームでのワークショップの様子

おいたち・今のお仕事に至るまでの経緯や職歴

ー高校時代から今までどのように過ごされていましたか?

演劇をはじめたのは、高校の演劇部でした。僕としてはこの演劇部が人生で初めての生きがいになりました。

ーもともと興味があったんですか?

昔から親と一緒によくドラマとか映画を観ていて好きだったんですけど、演劇とか舞台に関してはそこまで興味はありませんでした。
ただ、小さい頃から漠然と、世の中の仕事が人らしくなくなっていく、どんどん効率化されて人間味がなくなっていくんだろうな…とは思っていました。
そういうのもあって、仕事をするなら人間らしくいられる仕事をしたいな。と思って、それが演劇に繋がったのかもですね。

ー幼いながらにそんなふうに考えていたとは、すごいです。

芝居はどこまでもアナログで、人間を探求するもの。人間にしかできないことなので、これだなと感じています。

ー演劇部には何で入ったんですか?

体育系は嫌だったんで。そしたら母親がなんか伝手があったらしく、勝手に高校入学前に演劇部の顧問に口聞きしたらしいんです。「息子が演劇部に入りたいらしい」って。ボクはいくつか入部体験したかったんですが、入らざるを得ない感じになって。成り行きです(笑)

ー高校時代の演劇部は何人くらいだったんですか?

当時は15人くらいですかね。結局、仮入部の期間にはもう入部して。そしたらその日から21時くらいまで遅練していましたね。

ー結構ハードなんですね!

演劇部は覚えることがめちゃくちゃ多くて。先輩にみっちり裏方を叩き込まれるんですが、これは本当に大変でした。
部活後にファミレスに行って、閉店までスタッフワークを教え込まれるんです。当時の高校生はまだ緩かったので深夜までファミレスにいることが出来ました。あれ…あかんかったかもですが(笑)で、やっていくなかでこれ労働と変わらんやん…と思って。なので僕は演劇部のことを冗談で「無賃金労働」って言ってました(笑)
まあでも社会勉強みたいで楽しかったんで、良かったです。

ーその後どうなったんですか?

実は1年で辞めました。色々部員とも合わないことが多くて。そのあとしばらく隣の高校の演劇部に参加したりなんかしてました(笑)

ーえ、そんなこと出来るんですか?

どっちも制服じゃなく私服だったんで、しれっと行けましたね。でもそれもずっとは出来ないので・・・

ーですよね(笑) 卒業後は何されていたんですか?

卒業後は、仲良かった他校の演劇部員たちと劇団を作って、枚方で演劇をしていました。

メンバーはそのうち大阪市内に出て活動し始めまして、その伝手で僕にもオファーが来たりしていたんですけど、ちょっと僕のやりたい演劇とは違っていたんです。そこからしばらくは、心からやりたいお芝居が見つからないながらも、あちこちのカンパニーや企画に参加して活動していました。

ーちなみにどんなお芝居をしたくなかったんですか?

「エンタメ系」と呼ばれるタイプのお芝居で、それはそれで良いとは思うんですが、僕が目指す「人間味」とは離れたお芝居が多かったです。

こういう舞台は僕が10代の頃から流行り始めていましたね。多分時期的に、例えばエヴァンゲリオンのような世紀末感が漂う『セカイ系』と呼ばれる(最後にその世界が破滅するようなアニメ)ジャンルが流行った時期で、僕の好みからは大きく離れていたのでモヤモヤしてしまいました。あ、エヴァは好きです(笑)

ーそれからはどうされていたんですか?

mixiのコミュニティで出会ったり、お芝居観てて隣に知ってる演出家がいたのでおしゃべりしたら出演することになったりとか、なんやかんやと幅広くいろんな人たちと繋がってはいきました。ホントに細い糸のような繋がりです。

ーモヤモヤが無くなってきたのは、いつ頃だったんですか?

東京の劇作家、黒澤世莉さんのワークショップに参加した時、欠けていたピースがすごくハマって、色々と腑に落ちたんです。今まで抱えてきたモヤモヤがそこで晴れてきました。
今までなんとなく感覚だけでやっていた演劇が、そこでようやく基礎というものに触れたんです。

関西はあまり芝居を丁寧に教えてくれるような所がなくて、どちらかといえばセンスがある人が伸びていく環境でした。でも僕に足りなかったのはロジカルに芝居を学ぶことだったんだと、そのワークショップで気付かされました。

ー東京に行かれていたんですね!

東京はちょっとだけ勉強に。あとは世莉さんが大阪でワークショップをされる際には欠かさず参加して学んでいきました。そのあと世莉さんとは半年間かけて舞台作品を作ります。

僕が脚本と演出。世莉さんには共同演出という形でサポートしてもらいました。けど僕が脚本に行き詰まって書き進められなくなって。で、台本は無いもんだから、稽古が何も進まない。っていう状況が続いてしまったんです。

本番まで時間もなくなってきて、でも書けない。次第に追い詰められて…。家ではホントに発狂してたんで、結構やばかったですね(笑)

ーそうだったんですね。

やりがいを感じられない中、やりたいことをやっても上手くいかない。この頃には精神的にもピークになっていたので、この舞台が終わったらもう演劇を辞めようと思いました。

でも本番1週間前に世莉さんが大阪に来て、本格的に稽古参加が始まってからは物凄いペースで整えてくれて。本物の演出家の仕事ぶりと、その凄みを肌で感じました。

それでなんとか無事に公演を終えて、僕は辞めました。

ー本当に辞めたんですね! 辞めてからは何を?

しばらく日常を満喫しました(笑)でもなんかしたいなと思って。それで職場の人と話していた時に
「地元でも面白い活動はいっぱいあるから、地元にもっと目を向けてみたら?」というアドバイスを貰いました。
そこからですね、枚方市のイベント活動に目を向け始めたのは。

ー少し視点を変えてみたんですね。

そうですね。演劇をしていた頃は、どうやって全国に知られたろか?なんてことばかり考えていましたが、アドバイスを聞いて「あ、地元で楽しいことすればいいのか」って。そう思って。

で最初にT-SITEでABD読書会っていう読書会イベントに参加したんですが、いきなりそこでのご縁が大きかったですね。

そこである方と意気投合して「よろこぶおうち」というフリマや手芸、プチイベントなどをするスペースを始めました。僕はもう関わってないんですが、今も「よろこぶおうち」は手芸をメインにしたスペースとして活動しています。

ー他にはどんなことを?

これもT-SITEでやってたイベントで、地域密着の事業に着目する「ローカルプロジェクト」というものの勉強会に参加しました。
ローカルビジネスが熱い島根県に行って学ぶ「しまコト」とか、寺でカレーフェスをするイベント「カリー寺」とか。ここから、地域に根ざした活動に興味を持つきっかけになりました。

でも活動に参加していくにつれて、ちょっとしたシーンで「これは演劇が役立つんじゃないか?」と思うことが増えたんです。演劇のテクニックやノウハウが生かせるなと。

ー例えばどんな所にですか?

例えばプレゼンの仕方や伝え方。マイクがあっても声が届いていなかったりする方って実は結構いるんです。ゴモゴモしてるというか。

あと会話の整理。会話ってよく聞くと微妙に噛み合ってないことが多い(笑)なので会話を整理してコミュニケーションを円滑にするとか。演劇でもよくあるんです。「このシーンってどういう話してるの?」「こうだよ」「 あ、そういう話かー」みたいな。

そういったことを経験してると、自然と演劇で培ったノウハウが日常やビシネスシーンでも役立つかもって頭に浮かぶようになりました。

ー実際にそういう機会(伝える機会)ってあったんですか?

企業やビジネスシーンの依頼は今のところはまだありませんが、でも面接の変わりに演劇を作るっていう企業は増えてるそうです。これをすると人間性がわかって、書類や面接じゃわからない適性をちゃんと判断出来て、離職率が減るそうです。

そういう話を聞いて、僕も一般の皆さんに演劇を使ってコミュニケーションを体験してもらえるワークショップから始めることにしました。

ーそれが今につながるんですね。

はい、そうですね。
ワークショップで演劇を体験してもらうことで自分の生活とか人間関係とか客観的に振り返ることができます。

例えば、身近でちょっと嫌い、苦手と思っている人を芝居で演じてみる。するとちょっと相手が理解できるようになったりする。そうすると、付き合い方も変えられたりして。そうやって、普段の生活にフィードバックする機会になったりします。

ー職場改善にも活かせるんですね!

はい。面白かったのが、とあるチャットでたまたま話をしただけなんですが、東京から現役の警察官の方が来られたことでした。
その方はバリバリの刑事さんだったんですが、課が変わってのんびりした空気になってしまったことで鬱になったんです。
振り返ると自分には仕事しかなかったことに気づいて、他に何かやりがいを見つけなきゃと思い、至ったのが演劇。でも、よりによって枚方の僕のところ??とびっくりしました(笑)それだけ自分を変えたかったんですね。

で、その方と簡単な演劇やワークをしていくと、あがり症なこと、のめり込み過ぎること、そして相手のためにやろうとし過ぎることが見えてきました。その責任感が、職場環境が変わったことで緊張の糸が切れ、鬱のトリガーのひとつになった。具体的な解決案こそ出ませんが、自分がそんな人間だと気づかれたとき、肩の荷が降りてホントに晴れやかな顔をされてたのが印象的でした。

この体験もあってワークショップを通して、見てもらうよりも演劇を皆さんに体験してもらたいって思うようになりました。

人生のターニングポイント

ーターニングポイントっていつでしたか?

やっぱり30歳の時、一度演劇をやめたことです。演劇から離れて、様々に活動にふれたことでホントに視野が広がりました。でも次第に経験がなんでも演劇の観点でフィードバックしていくことに気づいて。警察官の方のエピソードもそうですが、「演劇の技術が社会の役に立つぞ」とわかり、それで自分が出来ることを出来る範囲でやってみようと思い至りました。

作品を作る上で大切にしていること

ー作品を作る上で大切にしていることはありますか?

役者が生き生きとしてくれることです。その人が自分の存在を認めて、鮮やかに立った時、そのパワフルさっていうのは必ず観客の皆さんにも伝わっていきます、生命力というか。そこが一番大事です。

ーその環境づくりをするんですね。

そうですね。ワークショップでは「失敗したっていい」「何も出来なくたっていい」と思える、安心出来る空気感を心がけています。

影響を受けた人や作品

著名人では、坂本龍一さん。京極夏彦さんですね。
音楽家の坂本龍一さんは昔から好きで。人間の制御下では表現出来ない、自然が生み出す表現「ピュシス」を突き詰めてるところが、いつも心に響きます。
一方、作家の京極夏彦さんは対極的で「ロゴス」のヒト。言葉を使って論理、思考、文化を伝える、ハイスペックマシンのような人で、その知識と整理整頓能力は崇めたくなるほどです。

実体験として影響を受けたのは演出家の黒澤世莉さんです。世莉さんのおかげで理論的に芝居を学べました。
あとはもう1人東京からワークショップをしてくれていた方がいて、玉置玲央さんです。
東京の役者さんで朝ドラとか大河とか、NHKによく出演されています。この方からは相手に伝えることの大切さを学びました。

二人のおかげで演劇に関してモヤモヤしていたことが色々と腑に落ちて、演劇に対する理解度が一気に深まりました。

今後の展望・やりたいこと

ー今後の展望は何かありますか?

まずは枚方の人たちに演劇を体験する機会をもっと作りたいですね。
演劇を通して、相手と確かに繋がった、手応えのあるコミュニケーションを知ってもらいたいです。
そうすれば、ワクワクするような企画がいっぱい生まれると思うんです。

あとは、ゆくゆくは枚方で演劇祭とかも開いてみたいですね。
ちょっとだけでも枚方で文化芸術を盛り上げたいです。

ー枚方って比較的演劇が盛んだったりするんですか?

僕が高校生のときはうちの高校も含め、枚方の公立高校でも全国大会に出場してました。また盛り上がって欲しいですけどね。

海外では「演劇」という授業があるんです。
日本では知識は座学。身体は体育。というのはあるんですが、心を学ぶ授業がないんですよ。それは道徳じゃない。簡単に言えば、ディベート、議論をするっていうことです。答えのないグレーの部分を海外では演劇の授業で学んだりするんですけど、日本にはないんですよね。

ーなるほど。

こういうことを日本の教育ではやってこなかった。詰め込み型にしたことで、受け身な姿勢で、コミュ障な人が多くて、会議が下手な人が日本人には多い。

主張するっていうことが(普段生活していく中で)あまりないですよね。
やりたいことを、やりたいようにする。自分の意見を主張をしてみる。発言をしていいんだっていう体験。これを演劇は補えると思います。日本ではまだまだ演劇が教育に組みこまれないですが、今からでもこれを取り組んでいかないとデジタル化が進んでいる中で、よりコミュニケーションは取りこぼされ、人と人の間で齟齬が生まれやすくなると思います。

ー演劇の大切さをより広めていかないといけないんですね。

普段どこに行っても、少しずつ人らしさが減っていってるなって感じます。
技術が発達して、人との関わりがインスタントになって。SNSとか、ディスプレイ越しに会話したりとか。

でも、今フリーランスが増えていってる中、今まで自分をサポートしてきてくれたグループがいなくなることは、健康面や技術面でも、心身共に自分で全てを面倒見なくちゃいけないことでもあります。そんな時、助けてもらったり、自分をステップアップするのに必要なのは、結局コミュニケーション能力です。

いくら世の中が便利になって、デジタルな世界になったとしても、あとで必要なのは人間力なんだと思います。

ー本当にそうですよね。

で、こういう時こそ演劇って役に立つんじゃないかなと思います。

演劇っていう行為は普段の生活とか、生きることとかとそんなに変わらないんですよ。

だから現実で自分に息苦しくなったら、ちょっと気分転換に自分じゃない人を気軽に演じてみる。そんなリフレッシュ感覚で演劇を体験してもらいたいなと思ってます。

今後のイベント、展示会の予定

ー今後のイベントの予定はありますか?

コロナでワークショップは自粛してましたが、少しずつ復活して、また週1ペースでの開催を目指してます。
あとは、小さな公演も。

言葉と写真ではなかなか伝わりにくいニュアンスを動画でお届けします!

ーお知らせとかはどこでわかりますか?

ホームページがあります。スウィトリトっていうサイトです。

これをみてもらえれば開催日時がわかります。

ー誰でも参加できますか?

はい、どなたでも参加してもらえます。

ー特にどんな人にきてもらいたいというのはありますか?

実はアレクサンダーテクニークという体の使い方を教えるレッスンもしてるので、腰痛、肩こり、姿勢改善など、身体に痛みがある人やスポーツ、楽器、身体のパフォーマンスをアップさせたい人に来て欲しいです。
他には、ちょっとコミュニケーションに自信がない人とか、人付き合いが苦手だなっていう人ですかね。擬似的な社会体験や人付き合いの練習に演劇をしてもらいたいです。

あとは、何か表現してみたい人。総合的に(舞台に関する事が)できるので、音楽の制作とか、モノづくりが得意だったら小道具の作成とかしてもらえます。

いろいろなことができるんですね。

ちょっと色々過ぎますけどね(笑)でもそれが人間なんで。

「アート」って、技術も芸術も「ART」っていうじゃないですか。だから、本来は分けて考えられることじゃない。
演劇ってのは、人間がもつ様々な表現活動の中で一番ミックスされたミックスドアートだと思うので、やって見たら自分のどこかには触れると思います。で、失敗したっていい。演劇をするときは、とにかく普段の生活ではなかなか許されない失敗をたくさんして、擬似的に人生を学んでもらえればと思います。

浅川水音さんの作品履歴

・「炎の旅路」(19)
・「投げてばっか。」(19)
・「短いけれど、ちゃんとお別れ。」(19)(高槻市 新進演出家短編上映会 参加作品)
・「帰りたくないので、ちょっと地元をさすらってみた」(20)(1人芝居フェス【INDEPENDENT:20】参加作品)

枚方を題材にした作品

「帰りたくないので、ちょっと地元をさすらってみた」浅川水音 作/演出

これまた枚方出身の俳優、長尾敦史さんが演じた1人芝居。海外にワーホリしたけれど何も得るものがなくて失意の中帰ってきた男が、真っ直ぐ家に帰るのは気まずいからと、1日地元をぷらぷらして癒されてゆくという、実体験も織り交ぜた物語。

枚方の好きなお店・場所

KICCHA KOHI(キッチャコーヒー)さんですね。

地元に目を向けて、面白い場所を探していた時にまずはカフェを探し始めて。そこで最初に行ったのがキッチャさんでした。
ここから僕のカフェ巡りが始まりましたね。飾り過ぎない落ち着いた優しい雰囲気と、ありそうでない素朴な味わいの焼き菓子が大好きです。


【ABOUT】浅川水音/Mito Asakawa

枚方市生まれ、枚方市在住の劇作家/ボディメンタルコーチ(アレクサンダーテクニーク)。
枚方で演劇のワークショップを開き、演劇を通じて身近にある『センス・オブ・ワンダー』を大切に感じてもらえるような活動を目指す。
演劇の理論としては「アレクサンダーテクニーク」と「マイズナーテクニック」を基礎として持ち、確かな理論と嗅覚で俳優の魅力を引き出す演出をする。
また、積極的に他ジャンルのクリエイターとコミュニケーションを取ることを心がけている。趣味は、カフェ巡り。

主な作品:「炎の旅路」「投げてばっか。」「短いけれど、ちゃんとお別れ。」
公式サイト:https://sweetlittle310.amebaownd.com/
Instagram :@mito_asakawa
Twitter:@mito_asakawa310

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